原水爆実験の時代におこなわれた樹木と放射能の研究


森林総合研究所研究COD 高橋 正通



 職場の同僚が驚き感心しながら1957年(昭和32年)の日本林學會誌39巻第5号の「資料・雑録」を紹介してくれた。その題名は「降水中に含まれる放射性物質による苗畑苗木の汚染について」(編集部注:CiNiiのウェブサイトにて無料での閲覧が可能です)。この短文の著者は四手井綱英氏である。四手井氏は2009年に亡くなられたが、先進的な発想の持ち主として知られている。京都大学農学部の造林学の分野を森林生態学という名称に変えたり、「里山」という言葉と概念を作ったといわれている。その先生が放射能と樹木の関係を調べ、半世紀以上も前に日本林学会誌に発表していた。
 四手井教授らの研究は、1950年代当時、たび重なる大気圏内核実験により地球全体に拡散した放射能が樹木におよぼす影響を調べたものである。放射性物質を含む雨に直接さらされたスギ苗木とポリ袋で被って雨が当たらぬようにして約6ヶ月育てた苗木を比較している。直接雨に当たった苗木の方が袋掛けした苗木よりGM(ガイガーミュラー)カウンターのカウント数が高く、苗木は放射能を帯びていた(測定の前処理として苗木を灰にして放射能を濃縮している)。メタセコイアでも同様の試験をし、葉、幹、根に分けて測定すると、葉のみカウントが高かった。ただし、これら針葉樹の試験データはばらつきが大きかったので、葉面積の大きなユリノキの葉で影響を比較するとカウント数の差はより明確で、雨に6ヶ月さらされた方が毎分12カウント増加していた。このため、雨に含まれる放射性物質は樹木の葉に付着したか吸収されたのだろうと考察している。
 福島の事故後、ゲルマニウム半導体分析器という精度の高い分析装置が大学や研究機関にも普及したので、GMカウンターでの計測に心もとなさを感じるかもしれない。GMカウンターというのは福島の事故の時、防護服を着た検査員が避難してきた人々の体をなで回すように動かしていた手持ちの測定器である。主にβ線とγ線を測定でき、放射性セシウムやストロンチウムがあると反応しピピとなる。
 この試験の行われた1956年は、アメリカ合衆国が太平洋ビキニ環礁で行った大気圏内水素爆弾実験に第五福竜丸が巻き添えとなった事件の2年後である。南太平洋のマグロの汚染が問題となったため、水産庁は科学者22人を乗せた練習船「俊鶻丸」を南太平洋に派遣し、海産物や海洋環境の調査をしている。この記録を見ると、当時シンチレーション計数器は東京には1台しかなく、それとガイガー計数器(GMカウンター)4台、サーベイメーター8台をようやくかき集めて出航したという。京大の苗木測定で使われたGMカウンターは工学部応用物理の四手井教室(兄、綱彦氏)から借りたと書かれているが、貴重な測定器であったことがうかがえる。データ数や測定条件の未記載などの不備は指摘できるが、実験の遂行と成果の公表には敬意を表したい。
 報告の最後に「この一小実験がアイソトープを利用する林学の各種試験の参考になれば幸いである。」と締められている。1955年には原子力基本法が制定され、政府は平和利用の推進を掲げた。核兵器の開発競争と環境汚染が進む一方、トレーサーや放射線治療など科学や医学への利用も期待されてきた時代でもあった。この試験が実施された時代背景、その後の原子力発電や科学利用の拡大、そして今回の福島の事故に至った歴史を振り返りつつ、科学技術の発展や平和利用、最先端の芽生えのような研究に対する先見性、記録をまとめる努力と公表の重要性など、多くのことを考えさせられた報告であった。
 私たち森林総合研究所でも福島の原発事故以降、放射性物質が森林生態系や木材におよぼす影響について分野を超えて共同研究で調査している。緊急事態にチェルノブイリの研究事例等を集めてきたが、国内の先駆的な取り組みは是非紹介しておきたいと思ったしだいである。


学会100年間の知の資産に戻る   
TOPページに戻る   
一般財団法人 日本森林学会
ご協賛をいただいている企業・法人等
  • 国土緑化推進機構
  • イワフジ工業株式会社
  • 海外林業コンサルタンツ協会
  • 大日本山林会
  • サントリー天然水の森
  • 一般財団法人日本森林林業振興会
  • 日本製紙連合会
  • 公益社団法人日本木材保存協会
  • 住友林業
  • 協賛募集中


ご寄付いただいた皆様(Link)